どうすれば、日常生活において師がいつもそばにいると実感できますか?
「グル・デーヴァとは、スピリチュアルな師である。
スピリチュアルとは、身体的な姿もスピリチュアルの次元にあるということである。
スピリチュアルな師に仕え始めると、そこに心が定まる。
例え師が遠くに住んでいようと、
誰かがあなたのいる場所で何かを言うなら、
それはスピリチュアルな師から発せられたメッセージである。
なぜなら、師は毎分毎秒私たちを助けているから。
もしあなたがいつでもどこでも、あなたの人生で起こること全てを、
このように師を原因として見始めるなら、
イシュタの姿、あなたの愛する主を見ることは容易になる。
すると、さらにもっとイシュタ・グル(愛する師)と
イシュタ・デーヴァ(愛する神)を見られるようになるだろう。
彼らはいつもあなたのそばにいらっしゃる。
これがスピリチュアルな師の慈悲である。
あなたの内面からイシュタの姿を呼び起こしてくださる。
このようにグル・デーヴァとイシュタ・デーヴァの慈悲により少しずつ、
あなたのスピリチュアルな姿も目覚める。
だから、私たちに必要なのはグル・デーヴァ、イシュタ・デーヴァ、
スピリチュアルな姿である。
それだけである。
そして、私たちのスワルーパ(スピリチュアルな姿)が目覚めるなら、
主クリシュナ(大いなる存在)との本当の関係もまた目覚めるだろう。
なぜ主クリシュナとの関係に(意識を)定められないのか。
なぜなら、自分のスピリチュアルな姿がわからないからである。
時には世界は良好であり、時は世界は動いて揺らぐもの。
だが、グル・デーヴァの慈悲により、イシュタ(愛する存在)の姿は固定するだろう。
あなたの(スピリチュアルな)姿も目覚めるだろう。
そう。なぜ私たちがバジャーン(マントラを唱えること)をするのか?
まさにこのためなのである。」
B.V.サードゥ・マハーラージャ師「The Beauty of real Love」より
”何千人もの中で自己の完成を求めて努力する者は、おそらくただ一人、その完成した者のうち、私の真の姿を知るものはごく稀である。”
「バガヴァッド・ギーター」7章3節
”敵を滅ぼすアルジュナよ、私への一途の愛と献身によってのみ、目の前の私の真実の姿を見ることができる。このようにして、私への交際の中に入ることができるのだ。”
「バガヴァッド・ギーター」11章54節
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