なぜ師が必要なのですか?

師なしに、私たちは動けない。

師はアシュラヤ・タットヴァ(根源の保護)である。

アシュラヤは保護を意味する。

そしてゴール(目的)はクリシュナである。

師がゴールになることはありえない。

師は私たちを助け、どうやってゴールに行くかを示してくださる。

あなたを連れて行ってくれるだろう。

師はあなたに示す。

「この道を行きなさい。」

そして助けてくださるだろう。

またこのようにも示す。

「違う。このようにするべきだ。この方法でしなさい。」


クリシュナはあなた(の内側の声)を聴いている。

何かを捧げたなら、クリシュナはそれを受け取る。

いつもあなたに寄り添っている。

決してクリシュナを見ることはないだろう。

でも、いつも待っている。


「いつ私のところに来るのか。

 なんで私のところに来ないのか。

 あなたは隠れている。

 あなたは私から盗んだ。

 私のために何かをくれませんか。

 そうすることで、あなたが意識してくれるなら、

 私はもっとあなたと近い関係になれます。」


クリシュナはいつもこのように考えている。

私たちは盗人のようである。

私たちはクリシュナから盗んでいる。

なぜなら、クリシュナへの愛を持っていないから。

クリシュナへ持って行っては、自分のために取ってくる。

もし、愛を最優先にするなら、まず愛する人に持っていくだろう。

するとクリシュナは顔を上げて尋ねる。

「僕を愛しているのは誰?」


誰でもバターはご存知だろう。

それは何か。

牛乳でできている。

5キロか10キロのミルクがあるなら、少しのバターが取れる。

牛乳はあなたの人生すべてのようなもので、バターはあなたの愛である。

そこから何が生じるか。

クリシュナがバターを盗むのだ。

クリシュナはバターが欲しい。

クリシュナはバターを盗むことだけが好きなのだ。

そして母ヤショダがたずねる。

「なんで盗むの。家にたくさんバターはあるでしょ。」

クリシュナは答える。

「絶対盗んでないよ。

だって、バターを作っている時は、僕のことを考えるでしょ。

なのに、バターを作った時は、僕に持ってこないんだ。

ね、彼らこそ盗んでいるんだ。

だから、僕はそこに行って、バターが欲しいんだよ。」


B.V.サードゥ・マハーラージャ師「The Beauty of real Love」より


”誰であれ、愛と献身を込めて、葉、花、果物、水を私に捧げるならば、私はそれを喜んで受け入れよう。”(『バガヴァッド・ギーター』9章26節)

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